地球上の多くの人は、鏡に映っているものが現実であると考えるよう教えられていますから、現実を変えたいとき、自分自身を変えるのではなく、鏡に映し出されたものを変えようとしてしまう

あなたのまわりの世界は、あなたの意識の波動が映し出されたものです。ですから、もしあなたが存在していなければ、あなたのまわりの世界も存在しないのです。
(中略)
地球上の多くの人は、鏡に映っているもの、投影されているものが現実であると考えるよう教えられていますから、現実を変えたいとき、自分自身を変えるのではなく、鏡に映し出されたもの、投影されたものを変えようとしてしまいます。

以上、須藤 元気/ダリル アンカ (著), 須藤 元気/尾辻 かおる (編集), 大空 夢湧子 (翻訳) 『バシャール スドウゲンキ』P.33-34より引用させていただきました。

常識的に考えても自分の現実は自分で創っています。
自分が現実だと思っているものは現実に対する自分の推測に過ぎません。

客観的な現実というのは存在するかもしれませんが、それを正確に知る手段を人間は持っていません。

現実というものを自分の五感を通じて認識し、それまでに蓄えた知識から、こういう風に見えるんだからこういう現実に違いない、としか言えません。

誰も他人の心の中は見えないし、誰も自分の視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を超えてそれらを知覚することはできません。

私たちが現実だと思い込んでいるものは一番あり得ると”自分が考える”推測に過ぎません。

私の現実では誰もが私を嫌っている、若しくは逆に、私の現実では誰もが私を好いている。
このどちらの現実にしても、他人の心を知ることはできない以上、どちらの現実を自分が選んだとしても、そこに正解も不正解もありません。

選んだ現実が紛れもなくその人の現実です。

極端に言えば、誰もが自分を嫌っていると信じている人は、誰のどんな行為もそういう風に見えるし、誰もが自分を好いていると信じている人は、誰のどんな行為もそういう風に見えると思います。

自分の推測が創り出した想像上の現実に左右されながら生きていくのか。
それとも自分が生きたいように生きるのか。
どちらがより本当の自分を生きることができるのかだと思います。