死は、波動の変化、景色の変化、見方の変化 : バシャール・ペーパーバック1

死というものは、簡単にいってしまえば同じ家のなかの、ひとつの扉から、もうひとつの、隣の扉に行くようなものです。波動の変化、景色の変化、見方の変化です。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)』167ページより引用させていただきました。

死、肉体の死というのは誰にでもいずれ訪れるとみんな理解している。
そして大抵の人は、肉体の死とともに自分の意識も消滅すると考えている。

誰も死んだ後にもその人の意識が残るのを見たことがない。
見たことがないものの存在を信じることはできない。

無限の宇宙と比べると、人間の肉体と意識は無に等しい。
肉体の一生は無限の宇宙から見るとほんの一瞬に過ぎない。

その無に等しい一瞬と言う時をこんなにも長く感じることが出来る人間。
たとえ数分の夢の中ででも数時間の人生を送ることが出来るのと似ている。

無限の宇宙で無限の時間と無限の空間と対比したこの現実は、あまりにも一瞬だ。
あまりにも一瞬なので、存在していないのと同じだ。夢と現実にあまり違いがない。

とは言うものの、何もしない一時間は、永遠のように長く感じるのも人間。

自分がこの世界から永遠に消えてしまうことは怖ろしいことだ。
自分の存在がこの世からなくなってしまうことが人間の最大の恐怖。

恐怖から逃れるためには、何か他の熱中できることに熱中していればよい。
その間は死の恐怖については忘れている。

そうやって人間は、人と比べ、人と一番を競い、時には戦争し、勝ち負けや、ものをいっぱい集めることや、恋愛や、さらに老いさえも、死を忘れる口実にしてきたのではないか?

でも死が単に波動の変化、景色の変化、見方の変化であると確信できるなら。
人間は、もっと違う生き方を選ぶのかも知れない。