何か怖れているということは、何か現実に起きるであろうということを信じているのです。

何か怖れているということは、何か現実に起きるであろうということを信じているのです。文字通り、自分の中にある一番強い観念、信じていることがそのまま自分のまわりの世界につくられます。

以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』229ページより引用させていただきました。

ちょっと驚きです。
怖れることは信じることである。

それが現実に起きるだろうと信じているから
怖れという感情を抱く。

それが起こるのは間違いないだろうと信じているから、そういう観念が、怖れという感情を生み出している。

厳密には、それが起こるかもしれないと怖れているわけですが、起こるかもしれないと怖れること自体が、もうすでにそれが起こると信じていることが根底にあるということでしょう。

あるいは、怖れている対象に対する怖れではなく、怖れていることが起こるかもしれないし起こらないかもしれないというそういう不安な状態に対する怖れ、というのあるかもしれません。

でもたいてい怖れているだけでは現実化しない。
なぜなら、その観念が一番強い観念ではなかったから。

考えようによっては、怖れるという行為から、逆に、信じるとはどういうことなのか学べるようにも思います。

怖れることは信じることであり
信じることは見ることである。

しかし見るためには、強く信じなければならない。